「誕生するいのちの神秘を前にした驚きと感謝」教皇、日曜正午の祈り
教皇フランシスコは、12月22日、バチカンのサンタ・マルタ館から、日曜正午の祈りを行われた。
バチカンの広報局によれば、厳しい冷え込みに加え、数日前から教皇に風邪の症状があることを考慮し、後日に控えた様々な行事のためにも、22日のお告げの祈りは、バチカンの広場に面した教皇宮殿の書斎の窓からではなく、教皇のお住まいがあるサンタ・マルタ館の礼拝堂から中継で行われることになった。
教皇は礼拝堂からの中継で、「広場の皆さんとご一緒できず残念です。もう(風邪の症状は)よくなっていますが、用心が必要です」と挨拶された後、いつものように、祈りに先立って説教を行われた。
待降節第4主日、教皇は説教で、ルカ福音書のマリアのエリザベト訪問の場面(ルカ1,39-45)を観想された。
お告げの祈りに続く巡礼者への挨拶の中で、教皇は広場の子どもたちが手にするプレゼピオ(イエスの降誕の場面を表した馬小屋の模型)用の幼子イエス像を祝福された。この日、教皇ご自身も、サンタ・フェの大司教から贈られたという、エクアドルの先住民族の人々の手による幼きイエス像を机の上に置いておられた。
同日行われた教皇の説教の要旨は次のとおり。
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今日の福音は、マリアが天使のお告げを受けた後、年をとった親戚のエリザベトを訪ねる場面(ルカ1,39-45)が語られる。エリザベトもマリアと同じように身籠っていた。それゆえに、この二人の女性の出会いは、母性という素晴らしい賜物による、幸せなものであった。マリアは世の救い主イエスを胎に受けたばかりであり(参照 ルカ1,31-35)、エリザベトは年をとっていたが、メシアの道を整えるヨハネを宿していた(参照 ルカ1,13-17)。
これほどにも大きな奇跡の主人公たちである、マリアとエリザベトの喜びを、わたしたちは経験のないものとして遠く感じるかもしれない。しかし、福音記者ルカが伝えようとするメッセージを、降誕祭を前にした今、わたしたちは近くに感じられるのではないだろうか。
実際、神の救いの業の特別なしるしを観想することは、神の現存と愛を身近に感じさせてくれる。それをわたしたちは、たとえばすべてのいのちの恵みを通して、お母さんのお腹の中にいる一人ひとりの赤ちゃんを通して、感じることができるだろう。
今日も広場には、子どもたちを連れたお母さんたちの姿があることだろう。たぶん、その中には出産を待っておられるお母さん方もいるかもしれない。お母さんたちの存在を、その美しさを、驚きをもって見つめよう。そしてエリザベトとマリアのように、お母さんたちを祝福し、いのちの奇跡のために神をたたえよう。
わたしたちはこの時期、光や装飾、クリスマスの音楽でお祝いの雰囲気を作り出すことを喜びとする。しかし、忘れてはならないのは、子どもを抱いたお母さんや、妊娠中のお母さんに会うたびに、喜びを表すことである。そして、こうしたお母さんたちと出会った時には、エリザベトのように心から祝福を祈り、マリアのように主を喜びたたえよう。
では、ここで自問しよう。わたしたちの人生を、罪以外、すべて分かち合うために、わたしたちと同じように人となられた主に感謝しているだろうか。生まれてくるすべての子どもたちのために、主を賛美し、たたえているだろうか。妊娠中のお母さんに会う時、親切にしているだろうか。受胎の時から始まる聖なるいのちの価値を支え、守っているだろうか。
誕生するいのちの神秘を前に、わたしたちが驚きと感謝を感じることができるよう、「女の中で祝福された方」である聖母に祈ろう。